ホンダと共に歩んだ人生を振り返って(第一回)

売れるバイクを開発するための情熱

現在、カスタムジャパンの商品開発や販売アドバイザーの顧問として携わっている服部 直樹と山本 馨の両名。実はかつてHRCや本田技研工業株式会社で様々な車両の開発や事業展開に関わってきたキャリアの持ち主である。
そこで担ってきた知見やノウハウを活かすべくカスタムジャパンへやってきた。
ここではそんな両名に長年に渡り勤め上げたホンダ時代にどのような経験をしてきたのか、記憶を遡って語ってもらった。

写真左:山本 馨、写真右:服部 直樹

服部 直樹(はっとり なおき)
本田技研工業およびHRC(ホンダレーシング)にて、商品企画と二輪純正用品事業、レース運営を担当。グローバル用品展開の推進者として、MotoGPなどホンダのワークス活動を運営。Forza (MF08)など人気車種の企画も歴任。

山本 馨(やまもと かおる)
HRCでのレース車体設計を経て、二輪の人気モデルであるForza(MF08)や二代目FUSIONの開発責任者を務める。中国・新大州ホンダでの開発責任者としても活躍。量産からローカルモデルまで広範な技術知見を持つ。

<第1章:記憶に残っている車種開発の背景と苦労 〜ホンダ・フュージョン〜>

インタビュアー:それではお二人の記憶に残っている車種開発についてお聞かせください。
服部:フュージョン(FUSION)ですかね。 あれって、一回ディスコン(生産終了)してるんですよ。
最初のフュージョンを第一時エミッション(排ガス規制)でディスコンにする時、国内二輪は「フュージョンを延命してくれ」って頼んだんです。そしたら研究所から「今の技術じゃ無理です」って言われたましてね。
技術って、研究所が「できない」っていうのは、いろんな開発工数とかお金とか、難しいところがあるから新しいエンジンを作ったほうが効率はいいわけですよ。
服部:「古いエンジンを、古いのになんのためにエミッション通して売り続けるんだ」って理由で上層部の人はできないって言うんですよね。
でも方法はいくらでもあって。それがちょうど1999年頃に、第2次エミッションでなくなったのがこのフュージョンと、あとはジャイロ(GYRO)。2ストのジャイロが一回なくなったんだけど、それも復活させましたから。
山本:実はフュージョンを復活させる時に、アメリカのあの“NASA”と物の取り合いになったんですよ。
NASAが8ビットのマイコンを探してるって(笑)。
なんでかと言うと、NASAが1950〜60年代からずっと宇宙開発やってて、機材が古いままなんです。で、新しいマイコンで開発すると、ゼロから開発になになっちゃうから、古い設計のまま作りたいんですよ。
でもその当時はもうマイコンがないんです。フュージョンのこのメーターに使ってるECU、8ビットのマイクロプロセッサーとか。
アメリカまで問い合わせても「あと何千個しか作れません」ってなったのを、無理やり確保して。「フュージョンのために確保して、この台数限定で作り回す」って言って。その頃はもう32ビットになってましたから。
それでなんとか復活させる目処が立ったという感じです。
服部:2003年の当時のこのベージュ色!
実はこの色は僕が決めたんです(笑)。
当時、スクーターファッションとかで、若者が中古のフュージョンを50万円とかで買ってたんですよ。
プレミアがついて新車より高かった。で、ちアースカラーっぽい色に塗ってたんです。。それを見て「これだ!」と思って。ベージュ色に塗って「これ出しましょう!」って、研究所に持ってったんです。
そしたら研究所の偉い人たちが「なんだこの色は!ババシャツ色じゃねえか!」って。
一同:爆笑
服部:「こんなの売れるわけねえだろ!」って言われて。でも「いや、絶対売れるから!」って言って、「Type X」って名前つけてね。
そうしたらバカ売れしたんですよ。
それから他の機種も全部ベージュ色採用したんですよね。節操がないですよね(笑)。

ホンダ上層部から「ババシャツ色」と揶揄されたフュージョン。後にバカ売れすることに。

<第2章:トップボックス開発への格闘 〜ホンダ・フォルツァ〜>

インタビュアー:お二人は別々の部署へ配属されたかと思いますが、初めて一緒に仕事をされたのはどの車種になりますか?
服部:2001年のフォルツァですかね?
山本:そうですね。それが最初だったと思います。
服部:それもフォルツァT/STというリアボックスが標準装備されたやつです。
しかもデタッチャブル(取り外し可能)式のタイプを初めて開発することになったんです。
インタビュアー: デタッチャブルは初めてだったのですか?
服部:それでまではね。できなかったんですよ。意外に構造が複雑なんです。
当時はまだトップボックスをつける文化が日本になかったんです。GIVIとかもあんまり出回ってなかったですしね。
山本:通勤の人とかじゃないと使わない感じでしたからね。
服部:ヨーロッパはトップボックス文化なんです。でも日本は全然それがなくて、だからヨーロッパといつも相容れないんです。彼らの言ってることとこっちの言ってることが全然違ってて。
で、高速道路の二人乗りが解禁になって初めて、日本が「トップボックス」とか言い始めた。
服部:いざ初めてみたら「トップボックスなんて」って軽く考えてたら、とんでもなく難しかった。デタッチャブルですからロックをカチャッとかけると、デタッチャブルがガッとロックがかかって、グッと開けると解除される。あの連動式がやっぱり難しかったり、あとは水漏れ対策ですね。
山本:シーリングのところが相当難しくて。
服部:これなんか被せになってるじゃないですか。被せって割と楽なんです。でも今のやつだと「ツライチ」になってるやつが多いので、あれはスマートに見えるんですけど、ものすごく難しいんですよ。上と下で収縮率が違ったり。
山本:ピッタリ合わせるのが難しい。
服部:合わせ建付けはものすごく難しいので、だからやっぱりGIVIとかSHADとか、ああいう専業メーカーってものすごく強いと思いましたね。
インタビュアー: なるほどね。素人目で見ると、型にポンとはめる一番簡単に作れるものっていうイメージがありました。
山本:すごく機構が複雑でしたね
服部:当時はボックスとキャリアの間に板が1枚入ってるんですよ。「揺動式(ムービングシステム)」っていう。
服部: スクーターって車体がデカい割にフレームが弱いっていうか、しなるんですよ。で、後ろの端っこに重いものを乗っけると、前の荷重が少なくなって「シミー(ハンドルのブレ)」を起こすんです。
昔は重量物を乗せないで開発すると、そういうものになってしまうんですよ。何も乗せないで乗ってるうちはいいけど、荷物を乗せるとハンドルが振れるとかいう問題が出てくる。そういうのがトップボックスを乗せる頃から顕著になってきたんです。
服部:実はそのきっかけは、CB1300でGIVIのトップボックスつけて乗ってて、ブワーッと振れたのをYouTubeに出てしまったんですよ。
それを上層部に報告したら大騒ぎになって・・・解析をすることになって今のモデルはそんなことは起きないように設計されてますね。
その後、フォルツァにスマートキーを装備したり、いろいろテコ入れをして、ライバルだったマジェスティに勝つことができました。
フュージョンとフォルツァで市場シェア80%を取ることができて、結局、2年で6万台を売り上げることが出来ました。

トップボックスの標準装備を命じられ、開発に苦労したフォルツァT/ST。

<第3章:ハンドル破損事件 〜ホンダ・シルバーウイング〜>

服部:思い出に残る車種と言えば、「シルバーウイングGT」もありますね。
山本:やりましたね。
服部:初代のシルバーウイングがあって、その2代目のやつを「GT」っていう名前でやったんですけど、あれも元々LPL(開発責任者)は別の人だったんですよ。でもリコール7回も出してしまって。
山本:ハンドルが取れる事件ですね。
服部:あれは本当に衝撃でしたね。走行中にハンドルが取れるんだから。
山本:ステムのホルダーのボルトが折れちゃったんですよ。
インタビュアー:原因は何だったんですか?
服部:金属疲労っていうか、設計ミスですね。
ステアリングステムの上にハンドルを固定する「ホルダー」があるじゃないですか。あそこのボルトに、想定以上の負荷がかかってて。
普通に乗ってて、ある日突然、ボルトが「パーン!」って弾け飛んで、ハンドルがフリーになってしまう現象でした。
これはもうダメだってなって、LPLを変えるって話になって、私に白羽の矢が立って。「服部さん、シルバーウイングGTやってください」って。
山本:当時、服部さんは 用品部門のホンダアクセスの所属だったんですよね。その人が本体のLPLやることもあったんでしたっけ?
服部:車両が売れない時、用品で利益出したり、車両のテコ入れをアクセス主導でやったり。フュージョンの時もそうだし、シルバーウイングGTの時も、本来は研究所がやるべき仕事を「お前がやれ」って言われたんですよ。
「GT(グランツーリスモ)」って名前を付けて、2代目として全部見直してくださいということになりました。だからGTの時は、もうハンドルの取り付け部分とか、フレームの剛性とか、全部やり直したんです。
スクーターはフレームが長くて低いから、剛性を出すのが大変で、後ろに重いエンジンユニットがぶら下がってるから、どうしてもフロントの接地感が薄くなる。そこにトップボックスを付けると、もうフロント浮き気味で走ってるような状態になるんです。
ボックスるを付けたらハンドルがブレる、最悪ボルトに負荷がかかって折れる…みたいなことが複合的に起きてたんですね。それを全部解析し直して、フレーム補強して、ハンドルのマウント方法も変えて、やっとまともになったのが「シルバーウイングGT」です。

ハンドルが取れるというトラブルを乗り越えて完成させたシルバーウイングGT。

<第4章:カスタムジャパンでの職務について>

インタビュアー:最後にカスタムジャパンに顧問として関わられるようになって、どのような業務をされているか教えていただけますか?
服部:リチウムイオン電池、特に「プロセレクト(Pro Select)」バッテリーの品質管理とか、中国工場の指導とかをやってます。
インタビュアー: リチウムイオン電池って、今主流になってきてますけど、やっぱり発火事故とか怖いイメージがありますね。
服部: リチウムイオン電池には大きく分けて「三元系」と「リン酸鉄(LFP)」があるんです。 三元系(ニッケル・マンガン・コバルト)はエネルギー密度が高い。だからテスラとかはこれを使ってた。でも、熱暴走しやすいんです。一度火がつくと酸素を放出して、消えない。 一方、リン酸鉄(LFP)はエネルギー密度は三元系より少し低いけど、結晶構造が強固で、熱暴走しても酸素を出さないから燃えにくいんです。安全性が高い。
そこで僕が指導しているのは、中国の工場でも「安かろう悪かろう」じゃなくて、ちゃんと管理をするように指導しています。
中国の工場って、設備は最新のをドーンと入れるんです。でも、現場の作業員がその意味を分かってないことが多い。「乾燥工程」とかすごく大事なんですけど、平気で湿気のあるところに放置したりする。
山本:形だけ真似してますからね。
服部:そうなんです。だから「なぜこの工程が必要か」「ここで水分が入るとどうなるか(発火する)」っていうのを、何度も指導してます。
服部:そのほかはティムソンタイヤや、新製品のSRD5(スマートモニター)などの販売指導などをやってますね。
山本:ホンダは今、四輪も二輪も結構厳しい岐路に立たされてますね。そんな中で、カスタムジャパンのようなアフターマーケットの会社が、ちゃんと品質の良い部品やバッテリーを供給するっていうのは、ユーザーにとってすごく大事なことだと思います。
服部:そう。だからティムソン(TIMSUN)タイヤとかも、最初は「中国製かよ」って言われたけど、今や日本の郵便局のバイクとか全部ティムソン履いてますからね。
山本:ちゃんと良いものを作れば中国製でもいいものはできるんです。それを目利きして、指導して、品質を担保するのが僕らの仕事です。

第二回ではHRCでのレーシングマシン開発、用品や新規事業展開の話などを語ってもらいます。

<撮影協力:ホンダドリーム足立店>

<撮影協力:ホンダドリーム足立店>
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